気になる昔の海外放送 5
こんにちは^^まだまだ続きます。
産婆術は直接的に抑圧されたものが意識に浮かびあがることを可能にします。
困惑とか苦悩とかが自己を表現し、自己を明瞭にすることを可能にします。
かつて言い表わし得なかったことを、言い表わし得るものにします。
それは、「女らしさ」を奪われたゲットー〔制限居住区〕から言葉を浮かびあがらせます。
徐々にはっきりしてゆく言葉が固まっていきました。
聴取者の手紙は、言い方の変化や主題の変化で、そうした前進を明らかにしています。
こんにちは^^まだまだ続きます。
産婆術は直接的に抑圧されたものが意識に浮かびあがることを可能にします。
困惑とか苦悩とかが自己を表現し、自己を明瞭にすることを可能にします。
かつて言い表わし得なかったことを、言い表わし得るものにします。
それは、「女らしさ」を奪われたゲットー〔制限居住区〕から言葉を浮かびあがらせます。
徐々にはっきりしてゆく言葉が固まっていきました。
聴取者の手紙は、言い方の変化や主題の変化で、そうした前進を明らかにしています。
メニー・グレゴワールは、解決ではないにしても、すくなくとも解決を見つけだす手段を提供しているのだろうか?それともまた、最後にここで語っているように、身代わりの役口を演じているのではなかろうか?
こうした探求を、台なしにするのではなかろうか?たしかなこと、それは彼女の答えが類比的に言っても分析的過程ではない、ということです。
それはむしろ精神分析よりは内省に近い産婆術でした。
それは、個人的な領域であれ、集団的な領域であれ、無意識の中に深く沈みこむことも、分析の治療的企図を持つことも可能にしません。
こんにちは。前回の続きですー^^
感情転移を言いかえれば、ごく幼い時代の状況のような初期の不安の状況で両親に抱いていた信頼、依存、愛の感情を、神話的な未知の人物に移し置いたからである》と、メニー・グレゴワールは書きました。
けれどもこうした感情転移が、電波にのせて送られる対話の中で拒絶されるとしても、集団的な水準では事情は異なります。
メニー・グレゴワールはそのことを次のような言葉で説明しています。
「わたしは《知っている者》、いずれにしても知っているはずの者、つまり集団意識の超自我となってしまった。
わたしはいつもそのことを拒否した。
わたしは、人がわたしにそれを語ることのできる時、人がわたしに語っていることしか知りはしない(・・・)。
けれどもわたしは、新しい集団的意識、新しい模範、変ってゆく世界への新しい返答を探し求め、創り出そうという欲求を満足させていたのです。」
メニー・グレゴワールがそうした返答を提供できるかどうか知ることが問題だったのです。
メニー・グレゴワールの場合は、つながりはもっと緊密です。
つまり、問題がいっそう個人化されていながら、そこで重要になっているのは、集団的啓示としての役割を果たし、一般的な価値を持つ探求であるからです。
メニー・グレゴワールとのいくつかの対話は、そうした覗き趣味をもようさせるにふさわしい露骨なむき出しです。
けれども、それにもかかわらず副次的な面でしかありません。
そうであれば、メニー・グレゴワールが断言しているように、問題は、誰にもあてはまる集団的で教訓的な精神分析ではなかろうか?《まさしく精神分析、つまり無意識的なものの操作が問題です。
なぜなら、感情転移があったからです。
こんな方がいました。
助産婦メニー・グレゴワールは、聴取痔それ白身の「彼(または彼女)が彼(または彼女)であること」を、彼(または彼女)自身に産み出させたい、と願っているのかも知れません。
したがって彼女の放送では、助言よりも産婆術が問題となったそうです。
ここには、聴衆者との独自な関係と新しい力学が見られます。
「彼が彼であること」を単に状況(苦しみの、危機の、挫折の)に還元してしまって一人の人問にいくら助言を与えてみたところで、それを傍で聞く聴取者(あるいは身の上相談を読む読者)にとって、たとえ彼らがその状況を今生き、あるいはかつて生ぎたことがあるにせよ、覗き趣味でないまでも、自分の内面に関わる問題だとは感じられないものです。
インターネットを含むコンピュータによる通信も、相手を国内に限定して考えることは可能で、そのときは情報の発信や受信の相手を、日本人あるいは日本語がわかる人に限定して情報をつくるということになります。
しかし、WWWのように、たとえば会社案内や商品カタログを世界に配達してくれる仕組みがある時、そのカタログが日本語でしか印刷されていないというのは本当はもったいない。
そこで必要なのは、わかりやすく誤解がないように書かれた英語であって、文学的な表現が特に必要とされているわけではない。
英語から日本語への翻訳ソフトはかなり普及し、安くなってきているので、情報を取り入れるという面では、これから簡単になるのかもしれないが、情報は双方向のやりとりをして初めて意味があります。
そのためには、是非、英語での情報発信を考えておく必要があります。
コマンドや機能の説明に使われる言葉は、英語でもなく日本語でもない部分があるので、これはおまじないとして「開けゴマ」と同じように考える方が気楽です。
しかし、インターネットの場合、真にその価値が発揮できるのは、文字どおりいろんなネットワークをつないで、個々のネットワークに縛られない大きなネットワークになっているからです。
そうなると、英語の問題はある程度は避けられません。
文は遣りたし書く手は持たぬ
If I were a bird.
I could fly to you.
のような文句を時計 ジェイコブと一緒にラブレターの中に盛りこもうとしても、無筆故書けないというのでは実に残念なことです。
昔からラブレターの代筆というのはありましたが、やはり書けるものなら自分で立派に書きたいものです・My love for you is beyond expression.などといっても、その実はご本人が字を知らなかったり、まともに文章が書けず、恋文書きの手をわずらわせなけれぽならないようでは興ざめで、恋人もそれを知ったら逃げ出すでしょう。
無学文盲は文明社会でははずかしいことです。
最近、男の大学生で恋人に手紙を書くのに「敬具」で始めて、「かしこ」で結んだのがいたそうです。
これでは無筆同然で、いくら背が高くてハンサムでも女性がそっぽをむくでしょう。
現在のようにコンピュータの知識が、知的ステータスを強化するというような意味あいで扱われるようになると、わからないが用語としてはトレンディであるので使うという人も多くなる。
このことで、用語の定義や使用範囲がぼやけてさらに曖昧なものになることが多いようです。
ただ、正確さを期して、細かな点にこだわったり意味を追求していくと、どうも収拾がつかなくなりそうです。
コマンド系の言葉や機能の表現の言葉については、英語として見るというよりおまじないだと割り切る方がよい。
インターネットが、気楽なツールになりにくいと思う人にとって、言葉の問題は意外と大きい。
いろいろなインターネット上の機能や状態についての呼び名が、日本語として定着する時間なしに無理矢理カタカナで通用させたり、日本語化しても、日本語として妥当な言い回しになっていないといったことが多いようです。
それだけ変化が激しく、過渡期の状況としては仕方がないことといえないこともないが、それにしても、大変な量です。
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